郡山八幡宮

郡山八幡宮 国指定重要文化財建造物

名称:八幡神社本殿一棟付宮殿一基
所在地:鹿児島県大口市大田1549番地
指定年月日:昭和24年5月30日
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|郡山八幡宮|(鹿児島写真帳)

社伝によると菱刈(ひしかり)氏の始祖菱刈重妙が建久4年(1193年)に封を受け建久5年(1194年)8月領内を巡視のとき郡山で一老翁にあい「われは豊前の宇佐八幡である。 われをここに祭れば汝の子孫を守護し、その栄福を祈るであろう。」といわれ、その言葉を信じて豊前宇佐八幡の神霊を勧請し、建立したのが、この神社と語りつがれている。
本殿桁行5.43m・梁間5.43m単層屋根入母屋造柿葺(こけらぶき)宮殿桁行1.81m・梁間1.81m単層屋根入母屋造棚葺となっている。建築は室町及び桃山形式の手法と、琉球建築の情調が強く加味されている。
建築の年代は最初明らかではなかったが葺き板の裏に大工が墨尾(すみさし)をもって「永正4年(1507年)丁卯再興島津出羽守殿」とあるのが発見されてから、それ以前に八幡神社が建立されていたことが立証された。
現在の本殿建物は昭和29年国の手で復元収補したものである。 収補改築の時に今ひとつ非常に珍しいものが発見されている。 それは本殿北東の柱貫の先端に久しく釘付けにされ塗り込められていた木片の裏に次のような落書きが発見され焼酎と薩摩人との関わり合いが今も昔も変わらないことが書かれていたことである。

  『ここの主人はえらいなこすっぱちで、
  いっぺんも
焼酎を飲ませてくれない。なんぎなことじゃ。』

多分これは永正時代に建立された社殿を50年後に補修した時、大工が書き印したものであろう。
大口市教育委員会
郡山八幡宮境内案内板より